不登校になって最高に楽しかった話。
小学生の時不登校だった。
僕は小学生の時、不登校だった。(正確には一時不登校だった。)
もちろん、なりたくてなったわけではない。
不登校に僕がなってしまった、原因は沢山あったが、それな今となっては、僕の記憶が確かではないのと、当時かかわった人々と関係を取り戻したいと願い現在もアプローチをしている現在進行形なので、語るべきではないだろう。
僕は自分が不登校だったことを決してネガティブなこととしてとらえていない。
むしろその反対だ。
何しろ、僕は不登校になって最高に楽しかったからである。
お子さんが不登校になったっとよく相談を受けるが、僕は何と答えてよいのかわからない。
僕は不登校だったが、好きなことをしていただけだ。
朝起きる時間も気にしなくていい。(早い時は朝2時ぐらいに起きていた)
そう、夜寝る時間も自由だった。(宿題があると眠れない)
朝起きると、朝ごはんを作り(ラーメン。卵と、もやしと、わかめを入れていた)急いでかきこむ。おにぎりを握り(塩おにぎり)前の晩に用意した塩さんま(釣り餌)を冷凍庫からだす。へっとランプを頭に着け、釣り竿二本とタモ(網のこと)を30リットルのミレーザックに括り付けて、まだ真っ暗な道路を自転車で風を切って海へ向かう。
途中の線路を超えたところから、だんだん明るくなってくる。
塩のにおいをかぎ、間に合ったという安堵と、獲物を狙う闘志で気持ちが昂る。
手を舐めて濡らし、高くつき上げ風向きを確かめる。
浜にたどり着き、海へ向かって仕掛けを飛ばす。
リールを巻く感触。
釣り竿をかついで海へ向かうことが僕の生きがいだった。学校に行くよりもはるかにはるかに、有意義な時間だった。
その秋僕は小学生にして鮭を何本も釣り上げた。
そう、僕は小学生の時不登校だった。
そして、決して忘れられない体験をすることができた。
決して不登校になることが良いことだと言っているのではない。
なぜなら、僕はこの後、大変な苦労をするからである。(苦労話はまた今度にでも)
ただ、不登校=ネガティブなことだけではないと言いたいだけだ。
何かいいことがあれば、その分よくない事やきついことが必ずある。
人は良くないことや、苦しいことに焦点を当てて、自分自身をより惨めにしてしまう。
もっと良いことや楽しいことに意識を向ければ、楽になっていく。
世界は認識と行動によって全く違うものになりえるのだ。
そうは分かっているものの、なかなかそれが難しいのだが、、、、